炙甘草湯は、古くから中国に伝わる伝統的な漢方処方の一つです。
特に、心臓の動悸や不整脈、あるいは慢性の咳や呼吸困難などを伴う、全身的な虚弱状態に対して用いられてきました。気力や体力が衰え、顔色が悪く、手足が冷えやすいといった、いわゆる「虚証」の体質を持つ方に適応することが多いとされています。
この記事では、炙甘草湯がどのような処方なのか、その組成や期待される効能、服用時の注意点、そして副作用や禁忌について、詳しく解説していきます。炙甘草湯を正しく理解し、ご自身の健康管理に役立てるための情報としてお読みください。
炙甘草湯とは?中医学的な基本情報
炙甘草湯(しゃかんぞうとう)は、後漢時代に成立した中国の古典医学書である『傷寒論(しょうかんろん)』に収載されている代表的な方剤の一つです。
この書物は、傷寒(感染症などによる熱性疾患)を中心に、様々な病気に対する診断と治療法が体系的にまとめられており、後世の漢方医学に大きな影響を与えました。炙甘草湯は、『傷寒論』においては、主に「脈結代、心動悸(みゃっけつだい、しんどうき)」と呼ばれる病態、つまり脈が乱れたり飛んだりし、さらに動悸を伴う症状に対して用いられています。
中医学では、人間の体を構成する基本的な要素として「気(生命エネルギー)」「血(血液や栄養)」「津液(体液)」、そして臓器の機能としての「臓腑」のバランスが重要視されます。これらの要素が不足したり、流れが滞ったりすることで病気になると考えます。炙甘草湯が対象とする病態は、主に「心陰虚(しんいんきょ)」や「心気虚(しんききょ)」、「心血虚(しんけっきょ)」といった、心臓に関連する気や血、陰液の不足によって引き起こされるものが多いとされています。
心臓は中医学において「君主の官」と呼ばれ、全身の血液循環を司り、精神活動とも深く関わると考えられています。心臓の機能が低下すると、脈が乱れる、動悸がする、息切れしやすい、疲労感が強い、眠れない、不安感があるなど、様々な症状が現れます。炙甘草湯は、これらの症状に対して、不足した気と血を補い(益気補血)、体に必要な潤いを補充し(滋陰)、乱れた脈を整える(復脈)という目的で使用される方剤です。
西洋医学的な病名で言うと、不整脈(期外収縮、頻脈など)、心不全に伴う動悸や息切れ、自律神経失調症、更年期障害、結核やその他の慢性疾患による衰弱、慢性の咳や呼吸器疾患の後遺症など、幅広い病態に応用される可能性があります。ただし、漢方医学では病名だけでなく、その人の全体的な体質や症状の現れ方(これを「証」と呼びます)を重視して処方を選択します。炙甘草湯が適応するのは、前述のような気虚や血虚、陰虚といった「虚証」が顕著な場合であり、体力が充実している実証の方には不向きです。
そのため、炙甘草湯を服用する際には、単に症状だけで判断するのではなく、漢方に詳しい医師や薬剤師に相談し、ご自身の「証」に合っているかを見極めてもらうことが非常に重要です。
炙甘草湯の組成生薬とそれぞれの働き
炙甘草湯は、9種類の生薬から構成されています。それぞれの生薬が持つ個別の薬効と、それらが組み合わさることで生まれる相乗効果によって、様々な症状にアプローチします。
主要な構成生薬一覧
炙甘草湯を構成する生薬は以下の通りです。
生薬名 | 日本語読み | 加工方法 | 主な分類(中医学) |
---|---|---|---|
炙甘草 | しゃかんぞう | 甘草を炙る | 補気薬、補脾薬 |
人参 | にんじん | 補気薬、補脾薬 | |
地黄 | じおう | 補血薬、滋陰薬 | |
麦門冬 | ばくもんどう | 滋陰薬、潤肺薬 | |
麻子仁 | ましにん | 潤腸薬、滋陰薬 | |
阿膠 | あきょう | 補血薬、止血薬 | |
桂枝 | けいし | 解表薬、温経薬 | |
生姜 | しょうきょう | 解表薬、温中薬 | |
大棗 | たいそう | 補気薬、補脾薬 |
これらの生薬が絶妙なバランスで配合されており、炙甘草湯の複雑かつ強力な薬効を生み出しています。
各生薬の効能と相乗効果
次に、各生薬が持つ効能と、炙甘草湯全体としてどのように作用するのかを見ていきましょう。
- 炙甘草(しゃかんぞう): 甘草を蜂蜜などで炙ったものです。炙ることで、甘草の持つ補気健脾(気を補い、消化器の働きを助ける)作用や、薬の性質を和らげ、他の生薬の効果を調和させる作用(調和諸薬)が強まります。炙甘草湯の中心となる生薬であり、「炙甘草湯」という名前の由来にもなっています。心の気を補い、脈を整える重要な役割を担います。
- 人参(にんじん): 強い補気作用を持ち、全身の気を大いに補います。特に心の気や脾(消化器)の気を補う働きに優れており、全身の倦怠感や疲労、食欲不振、脈が弱く速いといった症状を改善します。炙甘草と共に、炙甘草湯の補気作用の核となります。
- 地黄(じおう): 血を補い(補血)、体の陰液(潤い)を滋養する(滋陰)作用があります。特に、血虚(血の不足)による顔色不良、めまい、動悸、不眠などに用いられます。また、陰虚(陰液の不足)による口渇、空咳、便秘などにも有効です。炙甘草湯では、心の血や陰液を補い、脈の乱れや動悸の根本原因にアプローチします。一般的には、生で使う「生薬(しょうじおう)」や、蒸して乾燥させた「熟地黄(じゅくじおう)」がありますが、炙甘草湯では通常、熟地黄が使われます(ただし、処方によっては生薬の場合もあります)。
- 麦門冬(ばくもんどう): 肺や胃の陰液を滋養し(滋陰)、乾燥による咳や痰の少ない咳、口渇、便秘などに用いられます。また、心の陰液も補うとされ、不眠や動悸にも効果が期待できます。地黄と共に、炙甘草湯の滋陰作用を高めます。
- 麻子仁(ましにん): 麻の実です。潤腸作用があり、乾燥による便秘に効果的です。また、滋陰作用や補血作用もあるとされ、体の乾燥や血虚による症状を緩和します。炙甘草湯では、他の滋陰・補血薬の効果を助け、便秘傾向のある虚弱な体質の方にも適応しやすくします。
- 阿膠(あきょう): ロバなどの皮を煮詰めて作られるゼラチン質の生薬です。強い補血作用と滋陰作用を持ち、出血(不正出血など)を止めたり、乾燥による咳や体の衰弱に用いられます。特に、血虚や陰虚が顕著な場合に効果を発揮します。炙甘草湯では、地黄、麦門冬、麻子仁と共に、血や陰液を強力に補い、虚弱状態を改善します。
- 桂枝(けいし): シナモン類の木の枝です。体を温め、血行を促進し(温経通絡)、発汗を促して体表の邪気を取り除く(解表)作用があります。また、心臓の働きを助け、動悸や胸部の不快感を緩和する作用も報告されています。炙甘草湯では、補益する生薬が多い中で、気の巡りや血行を改善し、手足の冷えなどを改善する補助的な役割を果たします。
- 生姜(しょうきょう): ショウガの根茎です。体を温め、胃腸の働きを助け(温中)、吐き気を抑えたり、発汗を促す作用(解表)があります。また、他の生薬の消化吸収を助ける働きもあります。炙甘草湯では、体の内側から温める作用と、消化器への負担を軽減する目的で配合されています。
- 大棗(たいそう): ナツメの果実です。気を補い(補気)、胃腸の働きを助け(健脾)、体液を増やし(益津)、精神を安定させる作用があります。また、生薬の性質を調和させる働きもあります。炙甘草、人参と共に補気作用を担い、胃腸の働きを助けることで、補益薬が多い本処方の消化吸収を助けます。
これらの生薬が組み合わさることで、炙甘草湯は単に気や血を補うだけでなく、陰液を滋養し、体の内側から潤いを与え、さらに血行を促進し、乱れた脈を整えるという多角的なアプローチが可能となります。特に、心臓のポンプ機能の低下や、それに伴う全身の循環不良、あるいは慢性的な消耗状態による心身の衰弱に対して、優れた効果を発揮すると考えられています。
炙甘草湯の主な効能・適応症について
炙甘草湯は、その組成から分かるように、体の気、血、陰液の不足を補い、心臓や肺の機能を高めることに主眼が置かれた方剤です。古典的には「脈結代、心動悸」に対する処方とされていますが、現代においては様々な症状に応用されています。
心臓疾患(心悸・頻脈)への効果
炙甘草湯が最も得意とする病態の一つが、心臓に関連する症状です。特に、脈が飛んだり(期外収縮)、脈が速くなったり(頻脈)する不整脈や、動悸に対して効果が期待できます。これらの症状は、中医学的には心の気や血、陰液が不足し、心臓の働きが十分に機能していない「心虚」の状態と考えられます。
炙甘草湯に含まれる人参や炙甘草は心の気を補い、地黄や阿膠は心の血や陰液を補います。これにより、心筋に必要な栄養やエネルギーが供給され、心臓の収縮力が改善されたり、興奮状態が鎮まったりすることで、脈の乱れや動悸が軽減されると考えられています。また、桂枝は血行を促進し、心臓への負担を和らげる可能性があります。
西洋医学的な診断で心不全と診断された患者さんの、特に心機能が低下し、動悸や息切れ、全身の倦怠感が顕著な場合に応用されることがあります。ただし、これは西洋医学的な治療を補完する目的で行われるものであり、重度の心疾患に対して漢方単独での治療は適切ではありません。必ず専門医の診断と指導のもとで使用する必要があります。
自律神経の乱れ(自律神経失調症)への適用
現代社会において増加している自律神経失調症も、炙甘草湯が適応となる場合があります。自律神経失調症は、中医学的には気、血、陰陽のバランスの乱れと捉えられることが多く、特に心と肝(精神的な活動と関連が深い臓器)の機能失調が関係すると考えられています。
炙甘草湯が適応となる自律神経失調症のタイプは、主に心の気や血が不足しているケースです。動悸、息苦しさ、めまい、不眠、不安感、倦怠感といった症状が現れ、病院で検査しても特に異常が見つからない、あるいは軽い機能的な異常にとどまる場合などです。
炙甘草湯は、心の気血を補い、精神を安定させる(養心安神)作用が期待できます。これにより、過敏になった神経系が鎮まり、動悸や不安感、不眠などの症状が緩和されると考えられます。ただし、自律神経失調症の原因や症状は多様であり、気の滞り(気滞)や熱(火)が原因の場合など、炙甘草湯が適さないケースも多くあります。個々の体質や症状を詳しく診断した上で、適切な処方を選ぶことが重要です。
虚弱体質や慢性の咳(虚労肺痿)への作用
炙甘草湯は、『傷寒論』において「虚労肺痿(きょろうはいい)」という病態にも用いられるとされています。「虚労」とは、慢性の疾患や過労などにより、全身が著しく衰弱した状態を指します。「肺痿」とは、肺の機能が低下し、乾燥したような咳や、痰が少なく粘り気のある痰、あるいは血痰などを伴う状態です。結核や慢性気管支炎、肺炎後の後遺症など、慢性的な呼吸器疾患による体力の消耗がこの病態に含まれる可能性があります。
炙甘草湯は、人参や炙甘草で気を補い、地黄、麦門冬、阿膠、麻子仁で血と陰液を滋養することで、全身の虚弱状態を改善します。特に、肺の陰液を補い、乾燥による咳を鎮める働き(潤肺止咳)が期待できます。麦門冬や阿膠は、特に肺の乾燥を潤すのに有効です。
したがって、長引く咳や息切れ、微熱、盗汗(寝汗)、全身の倦怠感など、肺の機能低下と全身の消耗が同時に見られるような場合に、炙甘草湯が用いられることがあります。ただし、炎症が強い場合や、痰が多い湿性の咳には適さないことがあります。
感冒への使用は適切か?
炙甘草湯は、一般的に感冒(いわゆる風邪)の初期症状に対して用いられる方剤ではありません。感冒の多くは、中医学では体表から侵入した「外邪」(風邪、寒邪、熱邪など)によるものと考えられ、発汗を促して外邪を体外に追い出す「解表(げひょう)」作用を持つ処方が用いられます。葛根湯や麻黄湯などがその例です。
一方、炙甘草湯は、体内の不足を補う「補益(ほえき)」作用が主体の方剤です。感冒の初期に服用すると、外邪を体内に閉じ込めてしまい、病状を悪化させる可能性があります。
ただし、例外的に、感冒が長引き、体力が著しく消耗してしまい、前述の「虚労」のような状態になった場合に、補助的に用いられる可能性はゼロではありません。しかし、基本的には感冒に対する第一選択薬ではなく、また、急性期の熱や炎症がある場合には原則として避けるべきです。
中医学における「益気補血」「滋陰復脈」とは
炙甘草湯の効能を理解する上で重要な中医学的な概念が、「益気補血(えっきほけつ)」「滋陰(じいん)」「復脈(ふくみゃく)」です。
- 益気補血: 「益気」は気を益す、つまり生命エネルギーである「気」を補うことを意味します。「補血」は血を補うこと。気と血は互いに密接に関係しており、気は血を動かす力となり、血は気の活動を支える物質的な基盤となります。気血が不足すると、全身倦怠感、息切れ、動悸、めまい、顔色不良、手足の冷え、不眠など様々な症状が現れます。炙甘草湯は人参、炙甘草、大棗で気を補い、地黄、阿膠、麻子仁で血を補うことで、これらの症状を改善します。
- 滋陰: 体に必要な潤いである「陰液」を滋養することを意味します。陰液が不足すると、体の乾燥(皮膚の乾燥、口渇、空咳)、微熱、寝汗、イライラ、不眠などの症状が現れます。これを「陰虚(いんきょ)」と呼びます。炙甘草湯は地黄、麦門冬、麻子仁、阿膠といった生薬で陰液を補い、体の乾燥状態を改善します。特に、肺の陰液不足による慢性の咳や、心の陰液不足による不眠や動悸に有効です。
- 復脈: 乱れた脈を正常に戻すことを意味します。炙甘草湯は、気血陰液を補うことで心臓の機能を高め、また桂枝によって血行を促進することで、心臓の拍動を安定させ、乱れた脈を整える作用が期待できます。特に、脈が弱く速い、あるいは脈が飛ぶといった虚弱性の不整脈に有効です。
これらの作用を総合することで、炙甘草湯は心身の虚弱状態を改善し、全身の機能を回復させることを目指す方剤と言えます。
炙甘草湯は効果が出るまでどのくらいかかる?
漢方薬の効果が現れるまでの期間は、体質、症状の種類や程度、病気の期間、他の病気の有無、そして個人の体の反応性など、様々な要因によって大きく異なります。一般的に、漢方薬は西洋薬のように即効性を期待するものではなく、体の根本的なバランスを整え、体質を改善していくことで症状を緩和することを目的としています。
炙甘草湯は、特に気、血、陰液といった体に必要な要素を補う「補益」系の漢方薬です。これらの要素は、短期間で大きく増えるものではありません。そのため、効果を実感するまでには、ある程度の時間が必要となることが多いです。
効果が出るまでの期間の目安としては、軽い症状や体質改善目的であれば、数週間から1ヶ月程度で何らかの変化を感じる方もいらっしゃるかもしれません。しかし、慢性の疾患に伴う虚弱状態や、長期間にわたる症状に対しては、数ヶ月、あるいはそれ以上の継続服用が必要となることも珍しくありません。
特に、炙甘草湯が適応となるような「虚労」や慢性の不整脈などは、体の深い部分の不調が原因であることが多いため、じっくりと体質を改善していくプロセスが必要になります。焦らず、根気強く服用を続けることが大切です。
ただし、服用を開始して数週間から1ヶ月経過しても全く効果を感じられない場合や、かえって体調が悪くなった場合は、その漢方薬がご自身の「証」に合っていない可能性があります。その際には、自己判断で服用を継続せず、必ず処方してくれた医師や相談した薬剤師に状況を伝え、今後の対応について相談してください。適切な処方に変更することで、効果が現れることもあります。
また、効果が出始めた後も、症状が完全に消失するまで、あるいは体質が十分に改善されるまで、継続して服用することが推奨される場合が多いです。自己判断での服用中止は、症状の再発を招く可能性がありますので、必ず専門家の指示に従ってください。
炙甘草湯の標準的な用法用量
炙甘草湯の用法用量は、服用する製剤の種類(煎じ薬、エキス顆粒、錠剤など)やメーカーによって異なります。また、患者さんの年齢や体格、症状の程度によって、医師や薬剤師が用量を調整する場合もあります。
一般的に、医療用や市販の漢方製剤(エキス顆粒や錠剤)の場合は、製品添付文書に記載されている用法用量に従います。通常は、成人で1日2回または3回、食前または食間に水または白湯で服用することが多いです。食間とは、食事と食事の間、つまり食後約2時間後の空腹時に服用することを指します。
例えば、エキス顆粒の場合、成人1日量が〇g(通常は数グラム)と定められており、それを2回または3回に分けて服用します。錠剤の場合も同様に、1回あたり〇錠を1日〇回服用するという形で記載されています。
煎じ薬の場合は、生薬を水で煮出して服用しますが、これについても医師や薬剤師から指示された生薬量と煎じ方、服用方法に従います。
服用時の注意点
- 水または白湯で服用する: 漢方薬は、水またはぬるま湯(白湯)で服用するのが基本です。お茶やジュース、牛乳などで服用すると、成分の吸収に影響を与えたり、味が混ざって不快に感じたりすることがあります。
- 食前または食間: 多くの漢方薬は、胃の中に食べ物がない空腹時に服用することで、成分がより吸収されやすいと考えられます。ただし、胃腸が弱い方や、食前・食間に服用すると胃がもたれるなどの症状が出る場合は、食後に変更できることもあります。医師や薬剤師に相談してください。
- 指示された用量を守る: 効果を早く得たいからといって、指示された量以上に服用しないでください。過剰な服用は、効果が増強されないばかりか、副作用のリスクを高める可能性があります。
- 飲み忘れに気づいたら: 飲み忘れに気づいた場合は、次の服用時間まで時間があれば、気づいた時点で服用しても構いません。ただし、次の服用時間が近い場合は、飲み忘れた分は飛ばして、次の分から通常通り服用してください。一度に2回分をまとめて服用することは避けてください。
- 自己判断での中止・変更をしない: 効果を感じた、あるいは効果がないと感じた場合でも、自己判断で服用を中止したり、他の漢方薬や薬剤に変更したりすることは避けてください。必ず専門家に相談し、指示を仰ぎましょう。
炙甘草湯は、慢性の症状や体質改善を目的として比較的長期間服用することが多い方剤です。用法用量を正しく守り、継続して服用することが、効果を最大限に引き出すために重要です。
炙甘草湯の副作用とリスク
漢方薬は「自然のものだから安心」というイメージを持たれがちですが、医薬品である以上、副作用が起こる可能性はゼロではありません。炙甘草湯についても、いくつかの副作用や服用時の注意点があります。
報告されている主な副作用
炙甘草湯に含まれる一部の生薬、特に甘草や人参、あるいは滋陰薬の一部は、体質や服用量によっては副作用を引き起こす可能性があります。報告されている主な副作用は以下の通りです。
- 消化器症状: 胃部不快感、食欲不振、吐き気、下痢など。特に胃腸が弱い方や、空腹時の服用で胃がもたれる方に起こりやすい可能性があります。
- 皮膚症状: 発疹、かゆみなど。アレルギー体質の方や、特定の生薬に対して過敏な反応を示す方に起こり得ます。
- 浮腫(むくみ): 甘草に含まれるグリチルリチン酸の作用により、体内の水分やナトリウムが貯留しやすくなることで、むくみが生じることがあります。これは「偽アルドステロン症」と呼ばれる状態の初期症状である可能性があります(後述)。
- 血圧上昇: 浮腫と同様に、甘草の作用に関連して血圧が上昇することがあります。高血圧の方や、もともと血圧が高めの体質の方は注意が必要です。
- 頭痛: 稀に、服用後に頭痛を訴える方がいらっしゃいます。
これらの副作用は、すべての人に必ず起こるわけではありませんし、症状も軽い場合が多いです。しかし、服用中にいつもと違う体調の変化を感じた場合は、すぐに服用を中止し、医師や薬剤師に相談してください。
服用時の「上火」について
中医学には「上火(じょうか)」という概念があります。これは、体内の熱が上部に偏って現れる状態を指し、口渇、口内炎、顔や目の充血、鼻血、イライラ、不眠といった症状として現れます。
炙甘草湯には、地黄や麦門冬、阿膠といった比較的体の熱を冷ます(清熱)作用や潤いを与える(滋陰)作用を持つ生薬が多く含まれていますが、人参や炙甘草といった補気薬や、桂枝、生姜といった温性の生薬も配合されています。特に、もともと体に熱がこもりやすい体質の方や、服用量が多すぎる場合、あるいは長期間服用した場合に、これらの温性の生薬の作用によって「上火」の症状が現れる可能性があります。
もし、炙甘草湯の服用中にこのような「上火」の症状を感じた場合は、体質に合っていないか、あるいは服用方法に問題がある可能性があります。自己判断で冷たいものを多く摂るなどの対処をせず、必ず専門家に相談してください。処方の調整や、他の漢方薬への変更が必要になる場合があります。
長期服用における潜在的な注意点
炙甘草湯は、慢性的な症状に対して用いられるため、比較的長期間服用することがあります。その際に特に注意が必要なのが、甘草の過剰摂取による「偽アルドステロン症」のリスクです。
甘草に含まれるグリチルリチン酸は、体内でアルドステロンというホルモンと似た働きをすることが知られています。アルドステロンは、体内のナトリウムとカリウムのバランスを調整し、血圧を維持する働きがありますが、その作用が過剰になると、体内にナトリウムと水分が貯留し、カリウムが排泄されやすくなります。
この結果、以下のような症状が現れることがあります。
- むくみ: 特に顔や手足に生じやすい。
- 血圧上昇
- 低カリウム血症: これにより、脱力感、筋肉痛、こむら返りなどの筋力低下症状、場合によっては不整脈などが生じることがあります。
これを「偽アルドステロン症」と呼びます。偽アルドステロン症は、甘草を含む漢方薬(特に甘草の配合量が多いもの)や、グリチルリチン酸を成分とする製剤を長期間または大量に服用した場合に起こる可能性があります。
炙甘草湯は甘草が含まれており、比較的甘草の配合量が多い方剤の一つです。そのため、特に長期間服用する場合は、定期的に医師の診察を受け、血圧やむくみの状態、血液中のカリウム値をチェックしてもらうことが推奨されます。
また、複数の漢方薬や、風邪薬、咳止め、胃薬など、甘草やグリチルリチン酸を含む他の薬剤を同時に服用している場合は、グリチルリチン酸の総摂取量が多くなるため、より注意が必要です。服用中のすべての薬剤について、必ず医師や薬剤師に伝えてください。
これらのリスクを理解し、漫然と自己判断で服用を続けるのではなく、必ず専門家の指導のもとで適切に服用することが、安全に炙甘草湯を使用するために最も重要です。
炙甘草湯の禁忌・服用できないケース
炙甘草湯は多くの体質や症状に応用される方剤ですが、その薬効ゆえに、服用が適さない、あるいは慎重な投与が必要なケースがあります。
特定の体質や疾患による制限
以下のような体質や疾患を持つ方は、炙甘草湯の服用を避けるか、医師の指導のもとで慎重に服用する必要があります。
- 浮腫(むくみ)の既往歴や傾向がある方: 甘草の作用により、むくみが悪化する可能性があります。
- 高血圧の方: 甘草の作用により、血圧がさらに上昇する可能性があります。
- 心臓病のある方(特に重度の心不全など): 体力のない虚弱な状態に伴う心臓症状に用いることがありますが、病状によってはかえって心臓に負担をかける可能性があります。必ず専門医の指示が必要です。
- 腎臓病のある方: 腎臓の機能が低下していると、体内の水分やナトリウムの排泄がうまくいかず、むくみや血圧上昇が悪化する可能性があります。また、カリウムの排泄異常が生じやすい状態では、偽アルドステロン症による低カリウム血症のリスクが高まります。
- 肝機能障害のある方: 甘草の代謝に影響が出る可能性があります。
- カリウム値の異常(特に低カリウム血症)がある方: 偽アルドステロン症により、さらにカリウム値が低下し、重篤な症状を引き起こす可能性があります。
- 体の熱が強い、あるいは炎症が強い状態(実熱証)の方: 炙甘草湯は基本的に虚証に用いる方剤であり、実熱をさらに強めてしまう可能性があります。
- 妊娠中または授乳中の女性: 妊娠中や授乳中の漢方薬の服用については、安全性が十分に確認されていない場合や、母体や胎児・乳児に影響を与える可能性も考慮されるため、必ず医師に相談してください。
- 小児: 小児への投与については、大人と同様に慎重な判断が必要です。専門家の指示に従ってください。
- 炙甘草湯に含まれる生薬に対して過敏症の既往歴がある方: アレルギー反応を引き起こす可能性があります。
これらの他にも、個々の健康状態や体質によっては、炙甘草湯が適さない場合があります。自己判断は危険ですので、必ず医師や薬剤師に相談し、問診を正確に受けてから服用を開始してください。
併用注意が必要な薬剤
複数の漢方薬や西洋薬を同時に服用する場合、それぞれの薬剤が相互に影響し合い、効果が増強されすぎたり、弱まったり、あるいは予期せぬ副作用が現れたりすることがあります(薬物相互作用)。炙甘草湯を服用する際に、特に併用注意が必要な薬剤としては、以下のようなものが挙げられます。
- 他の甘草(カンゾウ)含有製剤: 複数の甘草含有製剤を同時に服用すると、甘草の総摂取量が多くなり、偽アルドステロン症のリスクが高まります。風邪薬、咳止め、胃腸薬、他の漢方薬など、身近な薬にも甘草が含まれていることがあるため注意が必要です。服用中のすべての薬を医師や薬剤師に伝えて確認してもらいましょう。
- グリチルリチン酸またはその塩類を含む製剤: 甘草の主要成分であるグリチルリチン酸を配合した製剤(炎症を抑える目的などで用いられることがあります)も、甘草と同様に偽アルドステロン症のリスクを高めます。
- ループ利尿薬、サイアザイド系利尿薬: これらの利尿薬は、体内のカリウムを排泄させる作用があります。甘草の作用と重なることで、低カリウム血症のリスクがさらに高まる可能性があります。
- ジゴキシン: 低カリウム血症は、ジゴキシンの毒性を強め、不整脈などの重篤な副作用を引き起こす可能性があります。
- ステロイド薬: ステロイド薬も、体内の水分やナトリウムの貯留を促進し、カリウムを排泄させる作用があります。甘草との併用により、偽アルドステロン症や低カリウム血症のリスクが高まります。
- 特定の降圧剤: ACE阻害薬やアンジオテンシンII受容体拮抗薬など、特定の降圧剤との併用で、相互作用の報告がある場合があります。
漢方薬に限らず、現在服用しているすべての医療用医薬品、一般用医薬品、健康食品、サプリメントなどについて、炙甘草湯を処方・購入する際に必ず医師や薬剤師に伝えてください。安全な治療のためには、専門家による薬のチェックが不可欠です。
炙甘草湯と生甘草の違い
炙甘草湯の名前にも含まれる「炙甘草(しゃかんぞう)」は、文字通り甘草(カンゾウ)を「炙った」ものです。生薬として用いられる甘草には、加工方法によっていくつかの種類があり、それぞれ薬効の性質が異なります。代表的なものに「生甘草(しょうかんぞう)」と「炙甘草」があります。
甘草(カンゾウ)とは
甘草は、マメ科の植物の根や根茎を乾燥させた生薬です。非常に多様な薬効を持ち、多くの漢方処方に配合されています。「薬の性質を和らげ、他の生薬の調和を図る(調和諸薬)」「痛みを止める(止痛)」「咳を鎮める(止咳)」「痰を切る(去痰)」「熱を冷ます(清熱)」「解毒する(解毒)」など、幅広い作用があるとされています。甘みがあり、これも他の薬の苦味などを和らげる効果があります。
生甘草(しょうかんぞう)
乾燥させた甘草をそのまま用いるものです。主に、清熱解毒作用(体の熱を冷まし、毒素を排出する)、止咳去痰作用(咳を鎮め、痰を切る)、止痛作用(痛みを和らげる)、薬物毒性や食物中毒の解毒作用などが強いとされています。比較的、体の熱を冷ます方向(寒性)の性質を持ちます。風邪の初期や喉の痛み、急性の炎症、薬物中毒などに用いられる処方によく配合されます。
炙甘草(しゃかんぞう)
乾燥させた甘草を、蜂蜜や飴湯などを加えて炒り(炙り)乾燥させたものです。炙るという加工を施すことで、甘草の持つ性質が変化します。生甘草の清熱解毒作用などが弱まる代わりに、補気健脾作用(気を補い、胃腸の働きを助ける)が強まります。性質も温性寄りになると考えられています。体力や気力が低下した状態を改善する目的で用いられる処方や、胃腸の働きを助ける処方によく配合されます。
炙甘草湯で炙甘草が使われる理由
炙甘草湯は、前述の通り、体の気、血、陰液といった不足を補い、虚弱状態を改善することを目的とした方剤です。そのため、体を温め、気を補い、胃腸の働きを助ける「補益」の作用が重要になります。
ここで中心的な役割を果たすのが、補気健脾作用が強化された「炙甘草」です。もしここで生甘草を用いてしまうと、その清熱作用によって体を冷やしてしまったり、補益作用が十分に発揮されなかったりする可能性があります。炙甘草を用いることで、人参や大棗といった他の補気薬との相乗効果が高まり、炙甘草湯全体の補益作用や、心の気血を補って脈を整える作用がより効果的に得られるのです。
このように、漢方薬では同じ生薬であっても、加工方法によって薬効の性質が大きく変わることがあります。炙甘草湯の名前にある「炙甘草」は、この処方の薬効を特徴づける重要な要素であり、体の虚弱状態を改善するという目的に合った加工がされていることを示しています。
まとめ:炙甘草湯を正しく理解するために
炙甘草湯は、中医学の古典『傷寒論』に収載されている歴史ある漢方処方であり、主に心臓の動悸や不整脈、慢性の咳を伴う全身の虚弱状態(虚労肺痿、心虚など)に用いられます。気、血、陰液といった体の不足を補い(益気補血、滋陰)、乱れた脈を整える(復脈)作用が期待できます。
9種類の生薬(炙甘草、人参、地黄、麦門冬、麻子仁、阿膠、桂枝、生姜、大棗)から構成され、それぞれの生薬が互いに協力し合って、体の内側からバランスを整えていきます。特に、体を温め気を補う炙甘草や人参、血や潤いを補う地黄や麦門冬、阿膠などが中心的な役割を果たします。
効果が現れるまでには、体質や症状によって個人差がありますが、一般的には数週間から数ヶ月の継続服用が必要となることが多いです。即効性よりも、体質の根本的な改善を目指す方剤であることを理解しておくことが大切です。
服用する際には、製品に記載された用法用量を守り、水または白湯で服用するのが基本です。飲み忘れに気づいても、一度に2回分を服用することは避けてください。
副作用としては、胃部不快感や発疹などが報告されていますが、特に注意が必要なのは、甘草の作用による偽アルドステロン症(むくみ、血圧上昇、低カリウム血症など)です。長期間服用する場合や、他の甘草含有製剤、グリチルリチン酸製剤、特定の利尿薬やステロイド薬などと併用する場合は、必ず専門家の指導のもとで行い、定期的な健康チェックを受けることが重要です。
以下のような方には、炙甘草湯は適さない場合があります。
- むくみや高血圧の傾向がある方
- 重度の心臓病や腎臓病がある方
- 体の熱や炎症が強い状態の方
- 他の甘草含有製剤などを多数服用している方
炙甘草と生甘草は、同じ甘草でも加工方法が異なり、薬効の性質も変わります。炙甘草湯では、体を温め気を補う作用を強めた「炙甘草」が用いられています。
炙甘草湯は、適切に用いれば心身の虚弱状態を改善する上で非常に有効な方剤ですが、その適応や注意点を正しく理解することが不可欠です。自己判断での服用は避け、ご自身の体質や症状に合っているか、他の薬との飲み合わせは問題ないかなど、必ず漢方に詳しい医師、薬剤師、または登録販売者に相談してから服用を開始してください。
免責事項
本記事は、炙甘草湯に関する一般的な情報を提供するものであり、医学的な診断、治療、助言を目的としたものではありません。特定の症状や健康状態については、必ず専門の医療機関にご相談ください。漢方薬の服用にあたっては、必ず医師や薬剤師の指導に従い、添付文書をよくお読みください。本記事の情報に基づいて生じたいかなる損害についても、筆者および公開者は責任を負いません。